の、続報。
勉強しないから暴力を振るうとか、友人の訪問中に勉強させるだとか、やっぱりこの親は異常だと思わされた。
この父親が望んでいたのは、少年個人というよりは、『医者になる息子』でしかなかったように見える。今、現在は違うのかもしれないけれど。
少年の処分を軽くするための嘆願運動を始めた、保護者有志がいるらしい。
わたしは、どちらかといえば少年自身に対しても批判的な眼を向けているので、諸手を挙げて賛成するような気持ちには、なれなかった。
少年には、同情されるべく要因が数多ある。それは、わたしも否定しないのだけれど。
周囲から見れば、処分を軽減するための嘆願運動をするに値する人物だったのだろうと、思いもしたのだけれど。
この少年が、それをどう受け止めるかによる。結局は、そういうことじゃないのか。
彼が同情されることに慣れてしまわなければ...それを当たり前だと感じてしまうようにならなければ...「あれでよかったんだろうな」って、言える気がする。
だけど、やっぱり3人の命を奪った事実は消せない。
いくらその後に善行を積んだって、反省して真っ当な人生を送ったって、亡くなった人は生き返らない。
彼は生涯、人殺しの看板を背負って生きていかなければならない。
それは、たとえ誰に見えなくても、彼自身には決して見えなくならない、看板。
本気で、心の底から3人に謝罪をしてほしい。
父親との確執を、命を奪ったことに対する言い訳にしてはいけない。
こういうのって、離れた場所からしか見えないわたしの、きれいごとかもしれないのだけれど。